作品分析0207 ヴィンランドサガ
鑑賞した作品のテーマ考察と起承転結の要約と分析。言語化で自己理解を深めたい記事。
(作品のネタバレを含みます。またあくまで感想ではなく分析の書き残しです)
□本日の作品:ヴィンランドサガ
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今期2期放送中の中世北欧を舞台にしたヒューマンドラマアニメ。復習に生きる主人公トルフィンは海賊たちと長い旅をし、世界の血なまぐささと自分の無力さを知っていく。
〇作品テーマ:命、生
分かりやすいテーマはなく、複雑で大きな「生」を扱う。そのためにも戦争、略奪といった「死・無力」をつぶさに描く。
ネタバレ起承転結(1期)
起:かつて最強の戦士だった男、トールズの息子に生まれたトルフィンは故郷のアイスランドでない、外の世界にあこがれる。父たちの船旅に隠れてついていった結果、道中で出会った海賊たちの人質に。トールズは息子のために命を差し出す。トールズは抵抗せど、決して海賊たちを殺さなかった。
承:海賊の親分への復讐のため、海賊たちの後を必死で追うトルフィン。その道中、一人で生きる過酷さと、海賊たちの略奪のむごさをまざまざと身に刻む。
ようやく追いついたトルフィンは親分に復讐の決闘を受けさせるが、相手にならない。ぼこぼこに返り討ちにした後、親分は「褒美に決闘してやる」ことを条件に、トルフィンを小間使いにする。そしてトルフィンは復習相手達との長い旅をはじめ、戦にも加担し、徐々に荒んでいく。
転:青年になったトルフィンは親分の権謀術数によって「護衛対象」となったイングランド第二王子の傍使いになることに。親分の秘めたる野望とは、故郷「ウェールズ」の平和を勝ち取ること。そのために第二王子を持ち上げ内政に干渉したいのだが、だんだんと風向きが悪くなり、部下たちからの反乱、イングランド最強の将との死闘を立て続けに乗り越えることに。
結:親分、トルフィンともに死に体になるも、なんとか遠征中の帝の御前にたどり着く。しかし、帝が告げたのは「ウェールズ」への侵攻。親分は覚悟を決め、自らが王を殺すことで、ウェールズの平和と第二王子の即位二つの大目的を守った。
その代わり、トルフィンは復習相手を失う。本心は明かさなかったがトールズに敬意を抱いていた親分が最後にトルフィンに残した言葉は「生きろ」。トルフィンはその言葉を持て余すまま、第二王子の計らいで、できる限りの処遇でこのイングランドを離れることになった。(1期終わり)
所感:トルフィンの大目的が「復讐」のたった一つで視聴者は感情に寄り添いやすい。そしてその中で、嫌でも「優しく元気な少年トルフィン」は暴力と略奪の世界に加担しなければなくなるので、父の在り方と離れ征く自分への葛藤を味わうことに。
いわゆる感情の導線が強いので、とても見やすい作品だった。
そして要約では省いたが海賊の親分アシュラッドも強い二面性を持つキャラクターで、常に葛藤を内包していることが分かり、視聴者を強い魅力でひきつける。生い立ちもトルフィンに似ているところがあり、頭でも力でも精神でも圧倒的に先を行くアシュラッドが「ラスボス」でありながら「メンター」にもなっていることが物語の要点のコンパクト化につながっているんじゃないかと感じた。
対照的に、第二王子は登場からしばらくは「目的のはっきりしない、うじうじした青年」でトルフィンの後背にいたのだが、父代わりの恩人の死をきっかけにした覚醒イベントを経て、「イングランドの先を見据え、野蛮な手もいとわない、精神的に振り切った青年」に変わる。これは「復讐という刹那的目的」と「決闘という形式」にこだわるトルフィンを一瞬で精神的に追い抜く構図で、終盤無力さに打ちひしがれるトルフィンをさらにみじめにする。
とにかく1期はトルフィンが感情の底へと向かう物語なのだが、そのあまりにもみじめで必死な生きざまがあるからこそ、失った故郷の平穏の価値が示される。
総じていえば「序章」で、2期以降人生の底にたどり着いたトルフィンが希望を(きっと)見出していくための「前振り」であった。とはいえ、前振りであっても物語としての一区切りにふさわしい1期の結論は出されている。希望はあるということだ。
トルフィンより先に大義を果たしたアシュラッド、大義を果たす精神を手に入れた第二王子の存在によって、まだ見ぬ希望とやらが、確かにあることを視聴者は知る。悪逆を尽くしたアシュラッドも、その力と頭と精神で一つの彼の人生として「やりきった死」を得られた。だからもう手の汚れたトルフィンと言えど、絶望だけが人生の終わりでないことは示されている。その示しと、2期への期待と不安が1基の物語の締め方だった。
「こんだけやって前振りなの!?」というのが視聴者としての第一の感想だ。24話をまったく苦に思わない見やすさと、話しの重厚さの両立はひとえに物語の構図とキャラ配置のうまさにあるのだろう。すごいね。
ネタバレ後でも見たい方へ。
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消極的三分間
カップラーメンに電気ケトルの湯を注げば、拘束性を伴った三分間が発生する。別のことに移り気するには短く、ただ座して見つめ合うにはこの加速社会に置いて長い三分間。ゆえに、この私はたださしたることでもない、聞いていた音楽の視聴続行、開いていたスマホ画面の鑑賞続行という、時間の短さも長さもない、平坦化された三分間というものを過ごす。つまりは消極的三分間の消費。
この、日々の三分間を、あるいは三分間の日々を味わうたびに、形容するにはあまりにも格のない、消極的感覚が私の感性を平にする。
この三分間に三分間の味はなく、実感にすれば40秒ほどの経過で、カップ麺というものは出来上がる。100円台の、味よし、栄養価悪しの昼食を取り込んでのち、私はまた私のすべきことを急いて再開する。時折音楽に気を取られながら、画面に時間を奪われながら。
体感時間にして2分20秒の損失。一方で、即席麺が浮かせた時間と手間は回り回って文字となる。
消極的三分間。積もり積もったそれが、添加物がふんだんなカロリーとなって、私を回す。
花火と廃神社と稲荷寿司
打ち上がる花火。見上げれば夜空。
静寂と木々のさざめきの中に、短い炸裂音が響いたかと思えば、深い藍色と紺のグラデーションに、紅い花が咲いては散っていく。
その度に、隣に座る彼女の横顔が一瞬照らされていた。
「きれーじゃのう」
拝殿の前の階段に座る彼女は、うっとりとしながらそう呟いた。
「そうだねぇ」
僕は洒落っ気の一つもない返答を返した。そしてまた二人はしばらく花火を眺め、言葉のない時間が辺りを包み込んだ。
時節は8月の暮れ、納涼の時期。この街では市内で一番大きな河の川辺で、毎年花火大会を行う。県内でも有名なぐらいで、当日は観光客で駅前の方が賑わう。当然市外の高校生もこぞって訪れるため、ここら辺の高校生にとっては格好の出逢いの場となる、らしい。
そんな花火大会を僕は、誰も人の訪れなくなった山奥の廃神社から眺めている。手入れのされていない木々、苔むした境内、塗装の褪せた社。ここら辺では知る人ぞ知る心霊スポットだ。
廃神社、心霊スポットなんて聞いたらヒノカは怒るけれど。
僕らは階段に、並んで腰掛けていた。階段の両側には、一対の風化した稲荷像が建てられている。灯りはないけれど、晴天の星空が夜を輝くような藍色に変えていた。花火と、ヒノカに映える色。
「あ、そうだ。これお土産」
夜も更けてきて、小腹が空き始める頃。花火見物にもつまめるものが欲しくなってくる。その頃合いを見計らって、リュックサックから桐箱を模した包みを取り出す。
「ぬ!寿司か!」
「そう。せっかくだし、奮発したんだ」
取り出したのはいなり寿司2人前。駅中のちょっと高級な土産屋で売っているものだ。値段ははるけど、ヒノカお気に入りの一品。
「花火に寿司とは、ええのう!風流じゃ!」
狙い通り、ヒノカは喜んでくれているようで彼女の狐耳がピコピコと動いた。可愛い。こういう時の素直な反応が僕はとても好きだ。
「食べて良いかの!良いかの!」
「ん、どうぞどうぞ」
僕はヒノカの分を手渡す。隣に座るヒノカはそれを受け取って、巫女服姿のその膝下に置いた。
「ん!それではいただくぞ!」
ヒノカは待ってましたと言わんばかりに手早く包みを開き、いなり寿司を指でつまみ始めた。見るに、花火のことは今忘れているらしい。花より団子という言葉がよく似合う。
美味しそうに頬張る姿に、見入ってしまう。一瞬、一瞬と花火が咲くたびに照らされるその陰影がとても雅に思えたのは、僕が惚気ているからだろう。
「ん、ユキ。食べんのか?」
頬を膨らませ、咀嚼しながらヒノカがはたと、僕の膝下の開けられていない寿司箱に目を止めた。
「え?あぁいや、食べるけど……ヒノカ、これも食べたい?」
少し、からかい心が起きた。
「む…!や、妾とてそんな…ユキの分にまで手をつけるなどと…そんなに食い意地はってるわけではないぞ!」
少し顔を赤くして、抗議するように彼女は言ってきた。その、表情にすぐ表れるところもまた可愛くて。お寿司ぐらいいくらでもあげたくなってしまう。
けど、この流れであげても、ヒノカが膨れてしまうだろう……。
「そう?じゃ僕もいただこうかな」
そう言って僕は軽く手を合わせた後、包みを開け始める。視界の端で、少しだけ、名残惜しそうにしたヒノカの顔が見えた。
ドン、ドン、と花火はゆったりとした鼓動のように夜空に打ち上がり続ける。そのリズムはこの時間をとても温かいものにしてくれているようで。
まぁ、八月らしく肌的には暑いんだけれど。
そんな時間がまた今年も過ごせてよかったなと思う。ヒノカと二人で。
僕は一ついなり寿司を頬張った。酢加減がとても美味しい。
「やっぱり、ここのいなり寿司はうまいじゃろ?」
まるで自分が持ってきたかのように誇らしげに。そんなところもまたかわいい。
もし、君のその笑顔の成分に、今このとき、同じ温度と、味と、空間とを。一緒に過ごせてることによるものが、含まれているのだとしたら。
とても嬉しいな。
稲荷寿司はあと四つあって。
最後の一つは、君にあげることにした。
螺旋の悪魔
遺伝子。塩基配列のうんたらかんたらが螺旋状にねじれあい、ただ一人の能力を、相貌を、人生を決める。
螺旋の始端には別の螺旋が二つあり、またその螺旋にも二つの螺旋が連なっている。
螺旋のただなかに私はいる。
実家は、普通という言葉がよく似合う場所だった。年収、世帯構成、家族関係。どれをとっても、特別長じたところもなく、特別短じたところもない。だけど、普通というのは得てして他者の評価によって決まるものだ。つまり、外側からの視点によって決まるものだ。
普通な実家は、色々とねじれていた。内側から見てみれば。
父は仕事ができたが旧時代的な人間で、ジェンダーやハラスメントといった観念に疎かった。母は家事が出来たが自己主張の無い人間で、父へのうっ憤をため込み続けた。兄は勉強ができたが自己中心的な人間で、家族への尊重が無かった。姉は運動ができたが低知能な人間で、流言飛語に流され続けた。
私は、普通な人間だ。能力、成績、容姿、どれをとっても、特別長じたところもなく、特別短じたところもない。だけど、普通というのは、得てして外からの視点によって決まるものだ。つまり、私の普通は体裁だった。
私は人を評することはできたが自分と向き合うことができない人間で、ただ外を眺め続けることで内のねじれから目をそらし続けた。
ゆえに、ねじれはさらにねじれていく。劣等感、無力感、焦燥感。負の感情は動力源となって、ねじれはさらに渦を巻いて。螺旋はその体長を伸ばしていく。蛇のように、うねるように。
ああ。私は、普通を被りながらねじれていく。連綿と続いたねじれの中で。受け継がれ続けたねじれの中で。
向き合うことはできる。向き合いたくはない。ねじれる前の自分になりたい。私は生まれたときからねじれている。
ねじれている。ねじれている。ねじれている。ねじれている。
螺旋のただなかに私はいる。
「おはよう!」
通る声。花が咲くような笑顔。
早朝。校舎一階、玄関にて。よく眠れなかったせいで、彼女と顔を合わせることになった。
「はやいね?委員の仕事?」
「ううん、ただ早く起きただけ」
そつがない会話。裏表もない会話。私が知る中で、どうにもまっすぐな人。人を見るのは得意だ。それでも、どこにもほつれが見つからない。
「私朝練なんだ!じゃあまたね!」
「うん。頑張ってね」
手を小さく振りあい、そこで別れた。
ただ私は、彼女の背を眺め続けた。
あなたも螺旋の中にいるのよね?その螺旋は、綺麗で、ねじれていないものなのかしら。そんなわけないわよね。私たちは、初めからねじれている。
そのはず。
去り行く彼女の足取り。軌跡に色がつくのなら、きっと直線になるような。
螺旋の悪魔は、どこに潜んでいるのだろう。
教室へ向かう。私は、彼女が通った軌跡を綱渡りの様に歩いた。階段のところまで。
悪魔が、運悪く落ちていくことを願った。
#プラットちゃん
それはSNS上で起きた、小さなネットムーヴメント。
「#プラットちゃん」
このハッシュタグをつけ、「#プラットちゃん」に関する何かを呟くだけ。
しかし、「#プラットちゃん」というキャラクター、あるいはアカウントはどこにも存在しない。存在しないものを本当に存在しているかのように取り扱う、ある種のジョーク遊び。唯一のルールは不文律。あくまでどこまでも、存在しているように扱うこと。
くだらないネットミーム。それでも、最初期にこのムーヴメントを作り出した約100個のアカウントが秀逸だった。
[メガネ×ゲーマー属性美少女は至高なんだって何度も #プラットちゃん]
[見た目に反して割とやかましいのさ……やっぱいいよね…… #プラットちゃん]
[16歳で精神年齢ほぼほぼ小学生なんだよな #プラットちゃん]
彼らはSNS上で何か明確な意思疎通を図ることなく、「#プラットちゃん」は16歳の少女であること、眼鏡をかけていること、控えめに見えて活発であること、よく何かをやらかすこと、ゲームが好きであること、等々の『事実』を共有した。
[#プラットちゃん描いた! pic.───]
[FA #プラットちゃん pic.───]
次第に、約5個のアカウントが、「#プラットちゃん」の容姿をイラストに描き始めた。髪の毛は栗茶色、背は16という年齢にしては小さめ。一見控えめに見えて、よく笑い、ころころ表情が変わる。これらの『事実』が、「#プラットちゃん」が描かれるたびに、共有されていく。
[これは俺が二日前の帰り道で見た光景です。#プラットちゃん pic.───]
[コンビニで#プラットちゃん見た pic.───]
「#プラットちゃん」が楽しく日常を過ごす、という漫画が小さな界隈で共有され出したうちに、ムーヴメントは大きさを増していった。
1つ、また1つと新たなアカウントが「#プラットちゃん」のことを知り、「#プラットちゃん」について彼らが知っていることを語りだしていく。ムーヴメントは段々と体長を伸ばしていった。
[#プラットちゃんに告白したある男の話!!! pic.───]
「#プラットちゃん」がSNS上に姿を現してから約3か月。彼女を知る者は着実に増えていた。
そんな折、最初期を作った約100個のアカウントではない、とあるアカウントがアップロードした「#プラットちゃん」の漫画。その内容は、“アカウントユーザーと同級生である”「#プラットちゃん」に、ユーザーが遠まわしに好意を伝えるも、「#プラットちゃん」には伝わらず、むしろ話が転じて脈無しであることがはっきりとわかってしまう、という男性ユーザーに小さな笑いと共感を与えるもの。
[草]
[すいません。この漫画の女の子はなんという作品のキャラクターでしょうか?]
この漫画が、SNS上で大きく拡散され「#プラットちゃん」の存在は多くのSNSユーザーに知れ渡った。その後、多くの他ユーザーが同じような『体験』をイラストにし、発信した。様々なシチュエーションでユーザーが「#プラットちゃん」に悪意なく、こっぴどく振られる、という内容の漫画は流行となり、イラストサイトのランキングにも登場するようになった。
───されど、流行は長く続かない。同じ内容の『体験』次第に飽きられ、拡散されなくなっていった。されど、「#プラットちゃん」は依然|い《・》|る《・》。今度は、ある女性ユーザーが発信した『体験』。
[#プラットちゃんに勇気をもらった話 pic.───]
いわゆる“女性らしさ”の乏しい自身に悩みを持つユーザーが、同級生である「#プラットちゃん」の、個性的奔放さを見て自分との向き合い方を見つめなおす、という、アイデンティティに悩みを抱えがちな現代SNSユーザーの共感を誘う内容。
これがまた大きく拡散され、今度は“ふと憧れてしまうような友人”たる「#プラットちゃん」が流行となった。
この流行が終わるころには、「#プラットちゃん」の知名度は大変なものになっていた。
[#プラットちゃんに───]
[#プラットちゃんと───]
[#プラットちゃんが───]
それからというもの、毎日のように「#プラットちゃん」に関する『体験』『目撃』『遭遇』が泡沫の様に生れては消えていった。様相は初期と大きく変わっていた。「#プラットちゃん」の『事実』は共有されるものではなく、認知されなければならないものとなっていた。
[#プラットちゃんを願望押し付けるキャラだと勘違いしてる奴増えたな……]
[知名度あがる前の空気が好きだった……]
[#プラットちゃんにデレさせるとかわかってねえなマジ]
母数が大きくなった以上『事実』自体にも知名度が要されるようになり、また『事実』同士が矛盾することもあった。「#プラットちゃん」に彼氏がいる、等はもとより、バスケ部である、いや図書委員である、いやいや駆け出しアイドルである、など木っ端な『事実』はSNS上で普及する前に多くが見逃され、あるいは嫌悪され、あるいは忘却され、消失していく。
集団認知というふるいの中で、「#プラットちゃん」の『事実』は研磨され、洗練され、精製されていった。「#プラットちゃん」は愛すべき理想的友人であり、人生を謳歌する小市民であった。その容姿は、数多の有名イラストレーターが個人的にしたためたイラストによって、最初期からやや身長は低くなって小動物的に、服装はより普遍的好感をもたれる個性的なものに『成長』した。
それから、また数カ月。
とあるイラストサイト運営が「プラットプロジェクト」なるものを立ち上げた。確固たる認知度を得た「#プラットちゃん」に声優をつけ、キャラクターソングとオリジナルアニメを制作、発表するとしたのだ。
[は!?]
[#プラットちゃんで金稼ぐ根性よ……]
[これ著作権とかどうなんの?]
最初、SNS上では大きなバッシングが起きた。「#プラットちゃん」は「#プラットちゃん」であり、声優をつけるなど「#プラットちゃん」のことを分かってない。そして「#プラットちゃん」の著作権保有者は定かではなく、また定かではないからこそ「#プラットちゃん」というコンテンツはここまで愛されてきたのではないか、という批判がSNS上で多大な賛同を伴って溢れた。
しかし、運営はプロジェクトを強引に決行した。[馬鹿][二度と使わん][死ね]
プラットプロジェクトはスタート時こそ、賛否両論。賛成派、反対派、両サイドが「#プラットちゃん」の『事実』を巡って争った。
[あれ、良くね……?]
[まだ運営は嫌いだけど、クリエイターの人たちは本気で作ってて好き]
[まあ……]
だが、運営は多くの反対派意見を覆すほど「#プラットちゃん」を誠実に扱おうとする態度を見せた。キャラクターソング、オリジナルショートアニメともに予想以上のクオリティで発表され、またそれらは動画サイトで無料配信と、次第にネット世論は運営賛成派に傾いていった。
[いやこれ声優起用神じゃね?]
[#プラットちゃんに中の人などいませんが!!?(激怒)]
[いやもはやずっとこの声を『聞いてきた』レベルまである]
特に起用声優の尽力が大きかった。彼女の演じる「#プラットちゃん」はまさしく「#プラットちゃん」そのものだった。その声質、声色、しゃべり方、抑揚全てが「#プラットちゃん」を知るものに『彼女らしい』と思わせたのだ。起用前から現在に至るまで、声優の名前が伏せられていることもあり、声優という存在が必要以上に「#プラットちゃん」という人格を侵略することもなかった。むしろ、彼女を「#プラットちゃん」と同一化しようとしているように運営サイドはボイスドラマ等を多数展開。さらにSNS上ではその意向を察して、今後3Ⅾモデルを制作してのヴァーチャルキャラクター化されるのではないかという期待が湧き上がっている。
[#プラットちゃんV化待ったなし!][#プラットちゃん三次元にされるのは解釈違い][#プラットちゃんは存在してるのでそもそも三次元なんだよなぁ……][#プラットちゃんが動いてんの見たい?][#プラットちゃんの形が固まりすぎるというか……][#プラットちゃんの古参ぶりたい奴は流れについてきてないだけ][#プラットちゃん知らんレベル][#プラットちゃん知ってるてどこから][#プラットちゃんってなに][だろ#プラットちゃん][けど#プラットちゃん][#プラットちゃんとか][#プラットちゃんには][さえ#プラットちゃん][#プラットちゃんまた][#プラットちゃんに][#プラットちゃんで][と#プラットちゃん][#プラットちゃんか][#プラットちゃん][#プラットちゃん][#プラットちゃん][#プラットちゃん][#プラットちゃん][#プラットちゃん]───
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とある病室。頭髪のない女が一人、白いベッドに横たわっている。ベッドから、隣の心電図につながるケーブルがだらんと伸びている。
女は目が据えていた。酷くやつれているため老いて見えるが、齢はまだ二十代後半だった。
サイドテーブルのテレビが、午後のニュースを垂れ流していた。
『深刻化する核家族化……────子どもの自宅待機が多く……────』
『出生率、今年度も減少……────』
『社会的孤立……────どう解決するか……────若年層多く……────』
気が滅入るような内容ばかりだ。
女は緩慢にリモコンを取って、テレビを消した。
「────さん、御具合いかがですか」
若く美人の看護師が入室してきた。その表情はどこか物憂げだ。
「ええ、今日は、調子がいいかも。吐き気もないわ」
か細い声。女は末期癌だった。死期は近いが、天涯孤独で恋人もない。
若年癌であり、見つかった数年前こそまだ進行しておらず、通院治療が行われたが、病状はゆっくりと悪化していき、数カ月前入院となった。入院して以来ずっと寡黙で、スマートフォンばかり見続けている。
それでも、どれくらい前だったか、一度だけ女が自ら話し出したことがあった。看護師はせめて安らぎになればと、ベッドの隣の椅子に腰を下ろし「聞きますよ」という態度を示した。
内容はこんなだった。
────生殖という行為は汚らしいわ。酷く醜い。死んでも行いたくない。それでも、子どもを作るという行為は尊いわ。一つの人格が、この世界に新しく生れるんですもの。神様って、気持ち悪いわね。この二つを結び付けるんですもの。だからね、私、生殖をせずに、子どもを作ったの。
まさしく『事実』を語るような、滔々とした口調だった。看護師は、一目散に逃げ出したいような気持ちで、その話を聞き遂げた。彼女に子どもはない。カルテを見れば一目でわかる。
あの日以来、看護師と女は一言以上の会話を交わしていない。
けれど、今日は違った。
「────さん、依然伺った子どもさんのことなんですが」
子どもという言葉に反応してか、女はふと目を看護師の方に向けた。
「その子どもさんについて、もう少し詳しく聞かせてもらえませんか。どういう、お子さんなんでしょう……。その……ここに来てもらったりは、できないんでしょうか」
看護師は、いたたまれなかった。恐らく、誰にも看取られず死んでいくであろう、この女が。だからこそ、その「子ども」と呼ぶ誰かが、どんな正体であれ、存在しているならなんとか一目でも合わせてやれないだろうかと。
けれど、女は小さく首を振った。
「残念だけど、できないわね。あの子は、ここに来れないの」
「そう、ですか……」
看護師もさすがに落胆した。そしてせめて最期にと、彼女の話に付き合うことにした。
「あの、お子さんの名前は、なんておっしゃるんですか?」
「……『プラット』」
「プラット……?」
「ええ。御存じない?」
「はい……」
「……そう……」
女は少しだけ語尾を下げた。そして気が向いたのか、また彼女は、『事実』を、滔々と語りだした。
「あの子はね……幸せ者なの。こんな時代に、あれほど愛されて。いえ、むしろ、こんな時代だからこそ、愛されるのかも……」
看護師は、居心地の悪さに表情が歪んでしまいそうになるも、こらえて、話に聞き入る。
「あの子を生むのには苦労した……。それでも、出産の苦労と比べてみれば軽いものなのかもね……。けれど、あの子は生殖を経ずに生れたから、尊いの。歪んでいないから……何者でもなれるから……愛される」
女は、満足そうに目を瞑った。
「いいの。あの子が来てくれなくても。あの子は存在し続けるし、成長し続ける。これからも、ずっと」
そう言い遂げて、女は話を終えた。弱々しくも毅然としたその姿の、どこにも悲壮の色はなかった。そして、眠ったように沈黙する。
心電図は正常に動いていた。本当に眠ったのか、彼女の言う「プラット」に一人思いを馳せているのか……。
看護師は部屋の手入れを静かに終え、病室を去った。
──その二日後、女は息を引き取った。
「#プラットちゃん」を最初に語りだした約100個のアカウント。その全ては、かつて女が住んでいた家から『事実』を発信していた。この事実を、今や知る者はいない。
悪魔の魔法瓶
上西氏は飢えていた。
今日食う飯にも窮していた。財布は既に空。先月喰らったリストラ以来、彼の貧困は真綿で首を絞められるように悪化していた。
空腹がやかましく、夜もおちおち眠れない。上西氏は深夜の街を徘徊していた。眠る前に流し込んだ安酒はまだ残っており、ふらふらと千鳥足だ。
街のネオンや喧騒は21世紀の飽和社会をつぶさに表しているようだったが、上西氏は自身がそこから取り残されているように感じた。
「もし、そこのお方」
「あん?」
あてもなく彷徨っていた上西氏は、突然後ろからかけられた声に振り返る。そこには、格調高い燕尾服を纏った、真っ赤な皮膚をした男が立っていた。
「うわあっ!!なんだてめぇ!」
上西氏は、人の者とは思えない肌を持つ、そのへんちきな男に仰天した。
真っ赤な男の眼は目じりが眉に届きそうなほど吊りあがっており、鼻は猛禽類の嘴を思わせるほど、強烈な鉤鼻だった。
「これは失礼。わたくし、悪魔と申します」
「あ、悪魔ぁ!?」
「はい。あなた、酷く顔色が悪いですね。どうやら、非情に困窮されている様子。そんなあなたに、わたくし、差し上げたいものがございまして」
悪魔を名乗った男は、周りの雑踏に聞かせたくないのか、少し身をかがめひそひそ声で上西氏に話しかけた。
「なに!?なんかくれるっていうのか」
「はい。こちらにございます」
男は胸の前で何かを抱えるように両手のひらを上に向けた。上西氏はこのとき男が白い手袋をつけていることに気づいた。手袋に気を取られていると、いきなりボンという音と共に何か大きなモノがあらわれた。
深夜なので悪魔の手元も暗かったが、あらわれた何かは街のネオンをよく反射した。見るに、金属製品のようだ。それも形からして、炊飯器のような。しかし、それにしてはやや寸胴である……。
「こちら、悪魔の魔法瓶にございます」
「ああ、そうか!魔法瓶か!」
上西氏は、中々思い出せないモノを思い出せた快感に酔いしれた。そうだ、実家にもこれと似た形の魔法瓶があった。
「こちら、わたくしどもの商会の売れ残り品でして。廃棄予定でしたので、お困りなら是非もらって頂きたいのです」
「うーーーん、しかし、ただの魔法瓶だけもらってもなぁ。俺はあんたの言う通り文なしだが、茶や水の入れ物をもらったところで腹の膨れにはならねえよ……」
「いえいえ、それがそうではないのです。そこはわが社の製品。悪魔の魔法で造り上げた魔法瓶にございます」
「魔法……魔法が何だって?ややこしい……」
「ふふ、まあまずお試しあれ。一つ、今何か、飲みたいものはございますか?」
「飲み物かい?ああ、そうだなぁ。安酒は悪酔いするだけだ。大吟醸、大吟醸が飲みたいねぇ」
「承知いたしました。この魔法瓶がその願いをお叶えいたします。さあ、これをお持ちになって」
赤い男がにこりと笑いながら、上西氏に魔法瓶を手渡した。中には何も入っていないようで片手で持てそうなくらいの重さだったが、上西氏がそれを腹に抱えた途端ズシリと重くなった。
「うおっ!?」
上西氏が少しよろけると、中からタプタプと音がする。
「開けてみて下さい。きっとお喜びになられる」
上西氏は僅かに酒の臭いを嗅いだ気がした。おもむろに魔法瓶のふたを開けると、そこから芳醇な香りが溢れだした。中にはなみなみと透明な液体が溜まっている。
上西氏は魔法瓶を片手で覆うように抱え、開いた方の手でそれを掬って口に含んだ。
旨い。久しく飲んでいない、まさしく大吟醸の酒だ。
「おいあんた!なんなんだこれは!」
「それこそ我が商会の、“飲みたいものがいつでも飲める”魔法瓶。酒、スープ、ワイン、勿論真水でも構いません。あなたが飲みたいと願ったものを、いつでも、好きな温度で、魔法瓶いっぱい3Lを瞬くままに出現させるのでございます。ただしご使用の際には一つ条件がありまして。新しく何かを飲もうとする場合は、魔法瓶の中のものをすべてあなたが飲み干さなければなりません。これが立った唯一の注意点にございます」
赤い男は恭しく宣ったが、上西氏は目の前の不思議な品にしか興味がなく、話しどころではない。
「こりゃすごい、酒が飲み放題じゃないか。おい、だけどこの中身はタダじゃないなんてことはないだろうな」
「ええ、勿論。といっても、中身はひとりでに現れるわけではなく、世界のどこかから、あなたが望む飲み物をテレポートさせる仕組みになっております。その都度適当な場所から持ってきますので、バレる心配も、お金を取られる心配もないでしょう」
「そうか、そいつは都合がいい。はは、とんでもない儲けものだ。あんた、悪魔なんて名のっていたが、いい悪魔だ」
「ふふ、お喜びいただけて何よりです。それでは、夜も更けてきましたので、私はこれで失礼」
「おお、ありがとうな!悪魔!」
赤ら顔の上西氏は、恭しく会釈したのち去っていった悪魔を手を振りながら見送った。その後、上西氏はボロアパートに戻って大吟醸3Lを一晩で飲み干し、幸福感に包まれながら大いびきをかいて眠った。
────────────────────────────────
自称悪魔とあった翌日、上西氏は昨晩の奇天烈な出会いと出来事は夢だと思えてならなかったが、かわらず部屋の中心で酒の匂いを漂わせる魔法瓶を見つけ、あれはやはり現実だったらしいと悟った。
派手に酒盛りをした手前頭がガンガンと痛み、そうだ水が欲しい水を飲みたいと魔法瓶を目の前にしながら思ったところ、タプンという音と共に綺麗な水が3L魔法瓶に入っていた。上西氏はしまったと思った。つまり、どうやら3Lの水を飲まなければ、魔法瓶の魔法は使えないことに気づいたからだ。一日をかけて、3Lの水を飲みほし、以来、上西氏は魔法瓶を慎重に使うことを学んだ。
とはいえ、魔法瓶は充分上西氏の生活に役立った。最初の内は夜のたび、日本酒、ワイン、ビールを呼び出したが、しかし一週間もしないうちに3Lも同じ酒を飲まなければならないことの苦痛を知った。酒に飽きたある夜、上西氏は余った酒を捨ててしまえと思い立った。
とりあえず、洗い物の貯まったながしの上で、魔法瓶をひっくり返した。中に入っていた酒は、びしゃびしゃと音を立てて排水溝に流れていく。なあんだ、ちゃんと捨てられるじゃないか。安堵したところ、いつの間にか魔法瓶の中には捨てたはずの酒が戻っていた。そしてその酒は、どこか薄汚れていて、異臭を放っていた。上西氏はぞっとした。その翌日、上西氏は苦悶の果てに人生で一番まずい酒を飲み、二日後に腹を壊した。
むやみに酒を呼び出すことにこりてからは、食の繋ぎにもっぱらスープを呼び出すようになった。コンソメ、味噌汁、クラムチャウダー。この魔法瓶のルールらしく、具材はどうしても入っていなかったが、食事が一品増えるだけ万々歳だ。なによりも発見だったのは、この魔法瓶が認める“飲み物”にはカレーとシチューが含まれていたことだ。
上西氏は、洒落た専門店で出されるような具材がドロドロに溶け切ったカレーやシチューを呼び出すようになった。これによって、食卓の総合栄養評価は跳ね上がった。粗食続きで体の調子も優れていなかったが、カレーとシチューのおかげでずいぶん胃腸の調子が良くなり、快便がつづいた。
カレーとシチューは様々な店を調べ、味に飽きが来るごとに種類を取り替えた。Aカレー、Bカレー、Cシチュー、Dシチュー。高級店製のカレーにシチューに、来る日も来る日も舌鼓を打つ。流石に店の違い以前の飽きも来ていたが、食費を抑える対価と思えば安いもの。そう思いこみ耐えることで、上西氏は魔法の魔法瓶を使いこなしていた。代わりに、咀嚼を体が求めているのかフーセンガムをよく買うようになった。
魔法瓶をもらい受けてから3か月後。上西氏は依然困窮にあえいでいた。
魔法瓶のおかげで食い扶持にはまだ困らなかったが、とはいえ金は飲み物でないため勝手に湧いてくることもない。なにより有職以前からある借金が彼を金銭的にも精神的にも苦しめていた。上西氏には賭博癖があった。それもただの賭博癖ではない。彼は宝くじ狂いだった。自由に使える金が出来た途端、彼は衝動でそれを宝くじに買えてしまう。最高当選額は10万円。社会に出てすぐ、職場近くの宝くじ売り場の娘に一目ぼれし、通いつめるうちについてしまった悪癖である。
職を失ってなお、悪癖は彼を蝕んでいた。使ってはいけないと分かりつつも、なけなしの貯金や日雇いの金は夢を唄う紙きれへと変わり、また一週間後には紙くずへと変わっていった。
借金はフーセンガムのように膨れていったが、ぱちんと消えることはない。ついには借金取りまで押し寄せてくるようになった。
ガンガンガンガン。
上西氏は粗暴極まりない音で目を覚ます。ああ、まただ。あいつがきたのだろう。上西氏の取り立てによくやってくる男、荒田。この男は、大柄小太りスキンヘッド、眉はなく一重の眼は吊りあがって二重顎、太いボンタンにガラのどぎついシャツと、そんな見た目から受ける印象に対し、実際の性格を見比べたとき、何一つギャップがないというむしろ稀有な男だった。荒田はオラア!とかボケエ!とか叫びながらボロアパートの木造ドアをしきりに殴りつけている。
この男の存在は上西氏にとって大変ストレスだった。というのも荒田は、なにかにつけて上西氏をまるで人じゃない生き物のように扱った。立場の差をこれでもかと威に借り、ボケエ!とかゴミイ!とか叫びながら上西氏をいびるのだった。さらにこの行為を楽しんでいるようで、ときに一日何度もやってくることがある。最近では、おちおち外出もできない。
外には荒田、内には貧しさ、上西氏は気が狂いかけていた。先週買った宝くじも、昨日全て紙くずに代わった。頼りになるのは魔法瓶だけだ。魔法瓶さえあれば、例え籠城しようと、水道が止まろうと、死にはしないだろう。俺には尽きないカレーとシチューと水があるのだ。ちなみに上西氏が知るところではないが、愛用していたドロドロカレーのBカレー店は、摩訶不思議なカレールー消失事件によって秘伝のルーを失い閉店した。
ガンガンガンガン。ガンガンガンガン。
外ではまるでドアをサンドバッグに見間違えているのか荒田が楽しそうにシャドーボクシングをしている。くそお、くそお。あんな人間はもはやきちがいだ。荒田のような人間さえいなければ、俺は安心して外に出ることができ、真っ当な働き口を見つけて、こんな生活から抜け出せるのに……。上西氏は臭い立つ布団の中で、親指の爪をガリガリ噛みながら恨みを募らせた。くそお、あんな人間、あんな人間、消えてしまえばいいのに……。
ガリガリと親指を噛み続け、ガチっと上西氏の歯が爪と肉の間に食い込んだ。
「いてえ!」
思わず上西氏は叫んでしまった。外からは、いるんじゃねえか!とかボケエ!とか荒田が叫ぶ声が聞こえてくる。噛み切った爪と肉の間から血がぷくっと膨らんで出てきた。上西氏は何故か、その血から目が離すことが出来なかった。
「あっ」
上西氏は天啓を得た。
その夜、荒田は失血死した。
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「すいませーん」
翌日正午、上西氏の元へ二人の警察官が訪れた。
「はあ、なんでしょう」
「ああ、どうも。警察です。いやですね、お宅をよく訪れてらっしゃった荒田さんって方が昨晩亡くなられまして」
「はあ、ほんとですか」
「ええ、これがどうにも奇妙でして。外傷は一切なく、体から血がたっぷり抜けてまして、干からびてるみたいに死んでたんです。こちらとしてもなんでもよいので手がかりが欲しくてですね、上西さん……でよろしかったですよね。何か、些細な異変でもいいので、ご存知ありませんか」
「はあ、不気味ですね……うぷ。私は何も」
「あれ、なにか体調でも悪いんですか。ずいぶん顔色が悪いですが……」
「いえ、ただ、昨日飲み過ぎただけです……うぷ」
上西氏はげっぷと共に口元を手で押さえた。警察は訝しんだが、上西氏の立つ玄関の奥から本当にむせるほど酒の香りが漂ってきたので、なるほどと納得した。
「そうですか、失礼しました。ところで、重ねて失礼を申し上げますすが、荒田さんはあなたの取り立て人でらっしゃったそうですね。彼に対する、個人的な恨みなどはありませんでしたか」
「そんな!粗暴な人でしたが、だからって殺したいなんて思うわけないじゃないですか……うぷ」
「そうですよね。失礼しました。監視カメラの映像もまさしく突然死でしたし……」
ご協力ありがとうございましたと言って、二人の警察官は去っていった。上西氏はすぐ家の中に戻った。上西氏の、口元を抑えた方の手の甲には、べったりと血がついていた。
それからずいぶんと月日がたった。
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ロシア大統領官邸。大国ロシアの長たる大統領は、頭を抱え込み、額に汗を浮かべ、机の上にうずくまり、極度に何かに怯えていた。普段衆目の前で見せる威風堂々とした態度からは、想像もつかない。彼は対面に座する美人秘書と二人のエージェントを怒鳴りつけた。
「ドラキュラは……!ドラキュラはまだ見つからんのか!!」
「申し訳ありません、部隊の総力を挙げて操作しているのですが、未だ見つかりません……何しろ奴は何一つ痕跡を残しません……」
「そんなこと、言われんでも分かっておるわ!!それを見つけるのが君たちの仕事だろうが!!」
激昂する大統領に対し、すいませんすいません、と二人のうち片方、控えめそうな女性エージェントがぺこぺこと頭を下げる。
「くそっ!くそ!なぜこの私が、この私がだぞ!姿もない化け物などに怯えなければならならん……!」
女性エージェントは気まずそうに大統領の見事な荒れっぷりを眺めている。対してもう一方の男性エージェントは、そんな大統領を前に、いたって落ち着いていた。
『ドラキュラ』。十年前から有名になり、それ以降世界を震撼させ続ける正体不明の殺人鬼。彼、もしくは彼女を直接見た者はどこにもおらず、彼もしくは彼女に殺されたものが、皆外傷もなく失血死していることから、いつしかドラキュラと呼ばれるようになった。そしてここ五年、ドラキュラに殺される被害者が中国・ロシア等の政府要人、つまるところアメリカの政敵ばかりになっていた。このことから、アメリカはドラキュラを確保したのではないかという噂がまことしやかにささやかれ、世界各国総出を挙げたドラキュラ探しが行われ続けている。奇妙なことに、アメリカは乗り気じゃなかったが。
当然、最もドラキュラを恐れなければならないロシアはドラキュラ専門の機密操作部隊を組織し、捜索に当たらせている。
現在の大統領が就任してから今年まで、大統領側近で5人、ロシア政府関係者では15人が傷一つない、美しい失血死を遂げている。大統領の焦燥と恐怖も限界に達していた。大衆が想像もしないような取り乱し方も、何一つ不思議なものではないのだ。
大統領は、機密操作部隊の幹部である二人のエージェントを前に、ドラキュラを1分1秒1コンマ秒でも早く見つけろと怒鳴り散らかし、喚き散らかし、泣き散らかし、縋り散らかしたのち、散らかし疲れて、でてけ!と二人を官邸から追い帰した。美人秘書はその後静かに、厳かに、憔悴した大統領を二人きりの空間で慰めた。
官邸からの帰り道。控えめな女性エージェントは車の中でため息をついた。
「はぁ全く。姿かたちもない奴をどうやって見つければいいんでしょう。アメリカ政府が機密で使ってる施設、全部ローラー捜査するしかないんじゃないですかね。できたらの話ですけど。って、聞いてますか先輩」
「ん?あぁ、聞いてるよ」
軍部入隊当初からの付き合いである、助手席に座るけだるげな先輩に対し、女性エージェントはまたため息をついた。
「はぁ。大統領があれだけご乱心されてるのに、ずっと能面なのもどうかと思いましたよ。少しはおろおろした方がよかったですって」
男性エージェントはそうか?とつぶやく。
「いや、今朝の報告を受けて以来、少し考え事をしていてな。お前も知っている通り、ここ数カ月はドラキュラの被害者がパタリと出なくなっただろう?」
「ああ、そうですね。まあアメリカ側もドラキュラに頼りすぎえうのは良くないと思ったとか?」
「そう思うなら5年もこんな惨状続かんさ。いやな、想像でしかないんだが、ドラキュラはもうすでに限界なのかもしれん」
「限界?老衰ですか?」
「いや、違う。鍵は、今朝の報告で掴んだおそらく本物の最初の被害者だ」
女性エージェントは、今朝配られた報告書をはたと思い出した。
「ああ、日本から見つかったっていう。たしか、コウダさんですよね。ですからコウダさんの関係人物を隈なく探っていけば何か見つかるかもしれませんね。まあ、日本のヤクザさんと関りがあったらしいので、めんどそうではありますけど」
「違う。そうじゃない。俺が気になったのは、そのコウダという男が、どうやらHIVに感染していたらしいということだ」
はたと、車を運転していた女性エージェントが表情を固める。
「え、えぇ~~?」
これ見よがしに、女性エージェントは怪訝に眉をひそめている。
「本気で言ってます?先輩。本気でドラキュラが被害者の血を飲んでるっていうんですかぁ?」
「まぁ、半分本気だな。そもそもだ、失血死するにしても失われた血は何処へ行く?捨てられるか、保管されて隠されるか、科学の力で分解するか。いずれにしても、コストはかかるし、なにかしらで人の目につくと思わないか?」
「いや~~、殺してる最中が誰の目にもつかないからこうやって苦労してるんじゃないですかぁ」
「その通り。だから半分冗談だよ。それでも、飲みほすっていうのは、血を無くす手段として一番目立たない気がしてな。それに、ドラキュラの殺しはいつだって十分期間をあけて一人ずつだ。失わせた血を一瞬で消し去る魔法があるなら、やつは大量殺人犯にだってなれるはずなんだが」
女性エージェントは、それでもやはり疑わし気に、伏し目で先輩を見つめている。
「もー、どうせ魔法みたいなことしてるんだから、どこからが魔法でどこからが魔法じゃないとか考えても分かりませんよ。まーでも、ほんとに飲んできた血のせいでドラキュラが病床に倒れてるなら、嬉しいことこの上ないですけどね」
「そうだな。そう祈りたい」
二人を乗せた車は夜道を快速で走っていく。
それから一年。ぱたりとドラキュラ殺人は起こらなくなった。『ドラキュラは死んだ』そんな見出しが世界中にあふれた。その年の世界終末時計は、史上最も破滅から遠い時刻を指し示した。
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上西氏は、黒くて狭い空間に自身が閉じ込められていることが分かった。
ここはどこだ……?確か、俺は病室で、一人眠っていたはずだ……。
身動きを取ろうとするが、ある筈の四肢の感覚……いやそれどころか、全身の筋肉から神経が抜き取られたかのように、体をびくとも動かせない。逃れようのない閉塞感と窮屈さに思わず悲鳴を上げようとしたが、しかし声帯もどうやらどこかに消え去ったようで、背筋が凍り付くような静寂のみがそこにあった。もっとも、凍り付く背筋の在り処すら今の上西氏には分からなかったが。
突然、黒い空間に光が差した。上からだ。上西氏にはその様子がよく見て取れた。どうやら彼は上を向いているらしかった。なぜか目線を動かすことは叶わず、ただ上方を凝視するだけだったが、まだ自身に視力が残されていることを知り安堵した。
日食の終り際の様に、光の孤は大きさを増していく。そして、天井は円形に開いた。もしや、自分は井戸のような場所に沈んでいるのだろうか。だが、僥倖だ。天井が開いたということは、この場所から救い上げられるかもしれない。
円形の天井からぬっとあらわれたのは、巨大な、真っ赤な皮膚をした男の顔だった。
いや違う、顔が巨大なのではない。俺が小さいのだ。
「どうも。お久しぶりです」
あ!お前は!
上西氏は声を上げようとしたが、しかしそれは叶わない。ぞくぞくと、嫌な予感が頭の中に駆け上がってくる。赤い男の末恐ろしさが、魔法瓶を使いこなしたうえで往生した上西氏には身をもってわかっていた。
「いやはや、あなたにあれをお譲りしてよかった。おかげさまで、わたくしどもの商会も予想外に儲けさせていただきました」
助けてくれ!助けてくれ!
上西氏は悲嘆に、悲痛に、必死に声を上げようとしたが、されどそれは叶わない。
「さて、人間の皆様はご存知ないようですが、実は魂というものの正体は液体なんです」
上西氏が収められた空間が急に持ちあがり、斜めに傾いていく。タプタプと奇妙に自分の全身が揺れるのを上西氏は感じた。
「そして、極上のソースとなるんです」
やめろ!やめてくれ!
上西氏は、自身が変形し、変形した先端が井戸だと思っていた空間からこぼれ落ち、線上に収縮したかと思うと分離し、無数の流滴になっていくさまを自覚し、意識がミンチ状になり、視界が燦爛し、自身が何者か、どこにいるか、何をしているか全てが前後不覚になり、ただ何か赤い水面へ落下し、着水し、それと同化していくさまを、まさしく全身全霊をもって体感した。一連の動作は約1秒間の内に完了した。
赤い液体と上西氏はまじりあった。意識が微塵となって消える間際、上西氏は元から自身がその赤い何かと非情に親和していることに気づいた。
格調高い燕尾服を纏った赤い男が、趣味の悪い、壁、棚、ドアの全てが赤い部屋で、塵ひとつない赤いテーブルを前に、年季の入った赤い椅子に座し、光沢ある赤い深皿の、中に満たされた赤いスープを見つめている。赤いスープは、上澄みに赤黒い脂のような何かが浮かんでいた。
唯一、赤いテーブル上に置かれた大きめの魔法瓶だけは本来なんの変哲もない、清潔感ある鈍色をしていた。だけれど、この空間の中ではその魔法瓶だけが異質で不穏なものに見えた。
燕尾服の赤い男は、ゆっくりと深皿を持ち上げ、口元に近づける。そして一気に、ズズズと汚らしくスープを飲みほした。
飲み干した後、男は満足げに一息をついた。
「ごちそうさま」
開店
作者の創作品を露店みたいに並べています。よければ見ていってください。
ということで開店しました。